1人じゃ何もできません!!
田舎の46歳のおばちゃんが、ヨガで起業を、一国一条のオーナーを志す!
これまでの人生、ただの一度も、そういう立場を経験したことも無く、これまでの仕事にピリオドをうち、ヨガの世界も初めて、起業も初めて、ましてや、頭や身体の老いも感じ始めた今、これほどまでの大きくて、太くて、頑丈なモチベーションを保てるお話を、今日は、お伝えしようかと思います。
10年前、当時15歳の女の子が、私の勤めていた会社にアルバイトで入社をした。
名前は、モカ。見るからに素行の悪そうな女の子です。スタッフ教育は、専門ではなかったけれど、小さな会社の管理職をしていたので、あまりの彼女のえげつない仕事ぶりに、直接口を出した。15歳といえば、今の時代は高校進学が当たり前。10年前も、もちろん、同じです。何店舗か運営していた、そのうちの1店舗に配属の1アルバイトだけれど、それほど、目立って素行の悪い女の子だったという事です。
挨拶の仕方 や、身だしなみ、会話の仕方、などなど、社会人としてのマナーや時には人としてのあり方や人生について、今思えば、15歳の子供にとっては、かなり難しい事までを大人の私の自己満足で言い放っていたと反省します。
彼女の母親も、当時悩んだ時期だと伺った。
15歳で毎日、仕上がった大人と同じように、平らなモチベーションで仕事を何のためにするのかなんて、キチンと理解してできるわけがないのは、100も承知で、私も飴とムチで彼女に向き合った。
アップダウンは、あるものの、そのうち、仕事の流れを覚え、ムードメーカーになっていった。
もともと、感受性や正義感が人一倍豊かで、頭の回転が早く、上下関係に敏感で、声が大きく、笑顔も備わっていた。なので、気がきいた。今どきにしては、目立って、珍しい子だった。文字も大人顔負けの、テキストの手本のような文字を書き、この子は、将来どんな大人になるんだろうと、興味も沸かせてくれる大物キャラクターだった。
入社して2年が過ぎ、仕事にもようやく慣れて来た17歳のある日、東京へ上京したいという、彼女の気持ちを聞いた。
本来立場上、仕事に慣れたスタッフは、会社に残す手段をとるのが当たり前ですが、私は、快諾した。
上京しての苦労は、私でも想像できたけれど、この子の将来を考えると、田舎では、残念ながら、良さは出ない事もわかった。
当てもなく、上京を口にする彼女に私は、一粒の不安もなかった。大変な苦労をしてもきっと、それ以上に得るものがあると、それくらい、飽きっぽく、視野の広い子でした。
残りの時間で、しっかり残務整理をし、入社当時とは180度の変わりようで、同僚たちにあたたかく見送られ、コツコツ貯めた、現金をお菓子の箱に入れて、東京へ出ていった。
10年前の事でした。
その後、時折、手紙や会社に訪問してくれて、私を気遣い、応援し続けてくれた。
そんなモカも、27歳。月日が経つのは本当にあっという間で、大人の女性に成長した。
そして今、私の人生をかけた起業への実現の為、彼女は、自分が築き上げてきた能力を惜しげもなく私に使ってくれている。
現在、モカは、都内で多くの勉強を全て、独学で習得し、数々の実績を積み、
マネジメント業を主として、開発やプロデュースを手掛けている。
もちろん、生活は当たり前以上を手に入れ、休みなく仕事に追われる毎日を送っている。10年前、私が想像する以上の人生をおくっていた。
私が今、書き始めているこのブログもモカの発案で、彼女が、ホームページを作成してくれた。
私なんぞ、ガラケーのらくらくホンを使っているものが、発想など出てくるわけがない。
仕事を辞めた私を気にかけ、連絡をくれて、起業を決意している思いを伝えるとその場で、いろんな提案をしてくれた。
何より有りがたかった。忙しい仕事の合間で、東京と田舎を往復し後押ししてくれている
無償で。
本来、高いお金を払って、依頼をしなければいけないものを。
世間では、良く、1人じゃ 何も出来ないという。
私はこの子に教えてもらった、それを。
そして、誠意も。
そして、煩わしい人間関係という私の概念も変わった。
そして、勇気が出た。
そして、今は、誠意は、誠意で恩返ししようと目標はまた大きくなった。
10年前、縁して、あれから10年後、こんな形で、私の人生に彼女が登場するなんて、想像もしなかったけれど、若い彼女が、この先の人生、そんなに悩まずすむように、20年も先を生きる私は、つたない経験で導き、私の生きざまを教科書がわりに使ってくれることを望みます。